MENU CLOSE

第16回 ママのねオンライン勉強会開催報告と録画視聴のご案内 flower-icon

8月6日(土)第16回ママのねオンライン勉強会を開催致しました。

◎テーマ:
連続7回シリーズ:助産師としての信念に従うか、周りに流されるか
―海外の助産教育から考える≪この日本で助産師として生きる≫意味―

「日本でLMC助産師として歩み始めた助産師②」

これまでニュージーランド、カナダ、イギリスの助産教育と働き方についてシリーズでお話をうかがってきましたが、今回のゲストは第12回に続いて日本で「LMC助産師」として歩み始めた中村暁子さん(暁助産院 院長)でした。

特別ゲストとして中村さんがLMC助産師を始めるきっかけをつくったゆりかご助産院の赤塚さん、ファシリテータは共同代表の古宇田さんでした。

 第三子をゆりかご助産院で出産されたのををきっかけに、ゆりかご助産院と提携のクリニックでパート勤務を始められました。それまで勤務していた病院では外来と病棟が完全に別れており、産婦さんとは初めましての関係性であっても、「安全に無事に赤ちゃんが生まれてきてくれたらそれでいい。」と思っていたといいます。

 ゆりかご助産院やクリニックでは、LMCのように担当制ではなかったけれど、どの産婦さんともお産で初めましてという関わりではなかったので、今思うと「自分は継続ケアをしているつもりでいました。」と語ってくれました。

 その後赤塚さんのすすめで、クリニックで初めてHさんのLMC助産師として関わることになりました。Hさんの妊婦健診に毎回付き添い話をするうちに、今までに感じたことのなかった責任感や信頼感、充実感を感じたというお話は、それまでの産婦さんとの関わりとは明らかに違うということがとてもよく伝わってきました。

 それまでは自分が「指導」する側だと思っていたけれど、Hさんとのお産では、「Hさんに教えてもらった」と何度もおっしゃっていたのが印象的でした。また二人目〜更に三人目で、Hさん自身が母として一人の女性としてそれまでの殻を破って、伸びやかに成長していかれたお話からも、女性にとっては助産師と、助産師にっては女性とパートナシップを築くことの素晴らしさを改めて実感できました。

 今後の課題としてHさんがそうであったように、クリニックなどの医療現場で声をあげにくい、もっと言うとあげてはいけないと思ってしまっている女性を、助産師がどれだけサポートできるかというお話もありました。

LMC助産師として歩み始めたいと思っている皆さまへ、

「一人では難しいけれど、仲間がいればできます!やりたいと思えばできます。やりたいと思わないとできないです。」

と中村さんからのメッセージが心に響きました。

録画をこちらからご覧になることができます。(9月末まで)
https://sairokuga-mamanone16.peatix.com/

 

参加者の方の感想です(掲載可の方のみ)

●初参加 総合病院で働いています。分娩進行中妊婦も複数受け持つ中で、一人の妊婦に十分に寄り添うことができないもどかしさがある中、ろくにバースレビューもできぬ状況にあります。実際の対象者の声をもとに、様々なことを言語化してくださっていたことで腑に落ちる点があったと同時に、新たな学びがありました。

●パ^トナーシップを大切にして、出産をする女性の性格、傾向を理解して、身体変化と産痛の変化への欲求を受け止めて、腰をさすり、対話を通して思いを受け止めて関わる状況を学びました。お産の責任者についての関係性から、産婦中心にかかわる視点にとても影響することを理解できました。私が関わるときの関係性(現在は教員としてなので)を、施設のチームの中で、大切に慎重に感じ取って、母子を中心に考えることができているのかを振り返っていきたいと思いました。 
対等な関係性を築くことをこれからの関りで大切にしたいです。

中村暁子さんプロフィール

大阪府堺市出身 総合病院内科病棟看護師歴1年。就職後まもなくから看護師として働き続ける未来が想像できず、友人から助産師の道に誘われことがきっかけで助産師になる。
1993年から大阪の総合病院産婦人科病棟に2年、結婚を機に静岡県の総合病院産婦人科病棟に8年勤務しながら出産と子育て。夫の転勤を機に岐阜県へ。
第3子をゆりかご助産院で出産。そのご縁でゆりかご助産院の嘱託医の産院で勤務、その後ゆりかご助産院でも勤務。
その後、性教育、母児の居場所作りなど地域での活動も始め、暁助産院を開業。
出産ケア政策会議に1期から参加。LMCとしての働き方に魅了され、出張専門でお産を取り扱う助産師として働き始め、現在LMCとしての働き方を前向きに検討中。
https://mamanone.jp/search/nakamuraakiko/